
最後はいつもどのように自分の生涯を閉じるかと言うことに考えが及んでいた。過去に島津成明から受け継いだ、その途方もない肉種のような考えに影響された。自分が最後は華々しく自分の周りにいた南と同じように生涯を閉じたいと考えていた。その人々とにおいて、自分がまだ死ぬことができないということがことをなさなければならないと言う。今までのみんなとの約束でここまで流れてきたが、さて自分の引き際と言うものを知っている。さらにここに置いて、自分の世間に対する役割は既に過去のものとなっている。この時において、自分が自分の引き際を探してさまよっている自分の生涯を閉じると言うことにおいて、以下にするべきかと言うことを考えて生きている。自分のことに孤独に関して、誰も理解していると言うことを期待していない。物事を大久保に放り投げて去る自分には無責任のように思えるが、この武蔵野大地において狩りをするにおいて、その事はいつも念頭にあるのだが、他に仕方がない。あるいはここから政府から離れるによって、自分はもう役割のない役所であると言う事は既に知っている。自分が以下にしてここに置いて人に影響し、さらにそれが悪い方向に向かうと言うエネルギーが思わぬ方向に進んでいってしまう事は、何よりも懸念である。ここにおいて、自分の影響を受けた若い人たちが、自分の考えと異なって、違う方向に進んでいってしまう。これは結局は自分の責任である。ここにおいて責任が取れるあるいは取らなければならないと言う時代において、これがこの最後の時が来たのではないかと思えるのであった。しかし皆がそういうことと物事をとっておらず、この時期において自分の気持ちを爆発させたいと言う衝動にこの理由があって、それを共に方向付けようとしていることに苛立ちを覚えるのだが、この時において自分はいかに小さい存在であるかということが、あるいはその方向を自分の思っている方向に導くということが、いかに不可能であるかと言うことを知っている。人間のエネルギーは、一旦その方向を見出すとの怒涛のごとく小さな変われ変わらなど無視するかのごとく進んでいってしまうで、最後には消滅してしまうのだが、もうその止める術はない。よくよく考えると、結局は自分がこういうことを導いている。ここに自分の責任があり、これに乗じて、あるいはこの大きな船に乗っていくつくとこまで行くしかない。大量のネズミが、一方方向に大きな断崖絶壁に向かって進むが如く、もう留める術は無いのだ。ここに置いて、自分は作戦など、もうどうでもよくこの軍団の上に乗っかって住む以外に方法がない。さらにここで華々しく最後を迎えることができるならば、それが本望であり物事を集結するなら1つの方法である。あるいは物と言う事は、こういうことによって集結を迎えるのであるように思える後は自分の伝えている。2匹の犬とともにこの山をかけ、港を一緒に命を共にするということが嬉しくもあり、さらに晴れのように感じて、自分の先君の成功にずるずることができると言う事は幸せのようにも感じる。ここに置いて、冬の雪の夜の次の朝が青い空を呈するが如く、火が昇るように、自分の運命も、そこに見いだすように思えるのである。

